かばのはこ

病気の子どもと過ごす生活の知恵!

子どもが病気になって仕事を辞めるとき~ワーキングマザーの葛藤

もともと、娘を保育園に預けてフルタイムで働いていました。けれど、娘が1歳の時に病気になりました。長い入院生活を余儀なくされて、母である私も病院で寝泊まりして過ごしていました。そのとき迷う仕事問題。

最初は有給をとったり、病院から出勤。幸いにして途中で介護休暇がとれたものの、それを使っても娘の病気はその期間中には落ち着きませんでした。そもそも、介護休暇も私の職場では初めての経験で上司・同僚には大変迷惑をかけました。

入院期間が6ヶ月がすぎ、介護休暇の終わりが近づいても娘の状態が改善せず家に帰れない状態が続いたとき私のストレスもピークでした。

その時の葛藤について記録に残しておきます。

退職を迷うときにいただいた言葉

  • 医師A「こういう病気になったら多くのお母さんはお仕事をやめています」
  • 医師A「この病気は長くかかります。お母さん一人だけ頑張っても無理です。ご家族全員で闘ってください」
  • 医師B「いつ調子が良くなるか悪くなるか分からない病気だから、病気の前と変わらない生活をできるだけ維持した方がいい。病気だからって子供に夢中になるのは良くないですよ。」
  • 医師C「親の覚悟の問題です」
  • 母「私が孫の面倒見る!」
  • 母「あなたがやりたいようにしなさい。」
  • 誰か「大きな決断は健全な精神が保たれている時じゃないと決められないよ」
  • FP「今のご主人の給料だけでも、厳しいですが生活できます」
  • 同僚A「なんのために働くか考えて。私が働く理由は家族のため」
  • 同僚B「もったいない。なんとか頑張って復帰して」
  • 仕事を辞めていた同期「子供が働かないでって言ったから、その日に辞めるって決めたよ」
  • 病院で出会ったママ「私も仕事をやめました」

娘が病気になったときから、仕事を辞めるか続けるかずーっと葛藤していました。そのとき上記したようないろんな言葉をかけてもらい自分の気持ちを固めようとしましたが決められません。もともと、私がしていた仕事は自分がやりたかった仕事でかなり充実していた日々を過ごしていました。

他にもいろいろな言葉をいただきましたが、忘れました。中には辛い言葉もあったような気がしますが、不思議なもので記憶に残っていません。3年たってもまだ覚えているこの言葉たちが判断する材料になったのかもしれません。

仕事を続けるための方法

こうすれば、仕事も続けられるのでは??と家族会議をしていました。どれか一つでも可能性があれば続けていたとお思います。 

  • 祖母に日中みてもらう。
  • 夫が仕事を辞める。
  • 娘用のヘルパーを雇う。
  • 入院の付き添いが不要の病院近くに引っ越す

【祖母に日中みてもらう案】

我が家の場合、70を越えた持病をもつ祖父母に重労働は不安でした。共倒れが一番怖い。実際、入院先でおばあちゃんがお子さんの付き添いを頑張っていましたが、おばあちゃんもダウン。この案は却下。

でも、入院中多くのお母さんがこの方法で乗り越えていました。日中はおばあちゃんが病院に来て、お母さんは仕事。病院から出勤して働くWMは全然珍しくありません。住んでいる場所が遠いからムリ、、なんて言ってられなくて県外からスーツケースをもって泊まり込みに駆け付けるおばあちゃんにもたくさん会いました。ご兄弟がいらっしゃるご家庭で、家族親戚総動員して働きながら入院生活を乗り切ることはよくあります。

 

 【夫が仕事を辞める案】

夫が辞めるリスク、私が辞めるリスクを天秤にかけた時、夫の方がリスクが高いのではと考え、この案も却下。

 

【娘用のヘルパーを雇う案】 

私の給料全部ヘルパーにつぎ込んで働くことも考えてみました。でも、病状の回復の兆しが見られないばかりか娘の入院ストレスはかなりあり、母である私が全力で愛情を注ぐことでなんとか精神が保たれている状態。

また、退院後は集団生活が厳しい状況。娘とヘルパーが長期にわたって狭い空間で過ごすことになる不安が高まりこの案も却下。私がいれば集団で遊べなくても仲の良い近所の友達と遊ぶことができますし。でも、1,2年で完治、寛解する病気であるならこの方法もありかも。

 

【入院の付き添いが不要の病院近くに引っ越す案】

娘の病気をみてもらえる病院はあまり多くありません。そのため、条件に合う転院希望の病院を探すとなるとかなり遠くなりました。そこで、引っ越して転院して日中病院に任せながら働くことを考えました。けれど、断念。なぜなら、当時の病状では退院しても保育園に通えなかったのです。保育園に通えないなら状況は変わらない。

退職を迷う私を助けた夫の行動

結局、自分が今後の仕事を選ぶ余裕などなく、家族の状況を考えると母である私が仕事を辞めるしかなかったのです。分かってはいたのですが、すぐに決断には踏み切れませんでした。好きな仕事でしたしやりがいもありました。

なので、退職しますと上司に伝えるまでにはとても勇気が必要でした。そんな時助かった夫の行動は、、、、

  • ひたすら私の話を聞いてくれる!!

日によって自分の考え方がコロコロ変わることもありました。結論が見えない会話に相当イライラしていたと思います。けれど、それを辛抱強く聞き続けてくれたおかげて後腐れなく辞める事ができました。人によるかと思いますが、オチや結論が見えない話を長々聞かされるのはたいてい面倒ですし辛いものです。けれど、夫が話を聞いてくれることで後悔なく辞められたと思います。

退職を迷うパートナーを支える方に伝えたい。どうか、結論を急かさないでください。傾聴の姿勢が相手の冷静な判断を促すと思います。

 

娘が病気になり、退職して思うこと

退職の決断はとても重いものです。問題を切り分けて、いろんなことを損得で考えても感情が邪魔をします。Googleで検索しても答えはでません。自分たちで考えるしかなくすぐに答えが出せないときは大変苦しいものです。
迷いすぎて何から考えていいか分からなくなった時、子どもの病気は抜きにして
  • 自分が自宅で育児をしたいか / 働かなくても生活できるか
  • 自分が外で働きたいか / 働かないと生活できないか
をもう一度に問いなおすことが仕事を諦めるきっかけになったなと今になって思います。あたり前のことなのですが、考えすぎた私にはそれが分からなくなっていました。もしくは、答えは出ているのにそれを受け入れたくなかったのかもしれません。
でも、考えに考えた後、ふっと霧が晴れたように、「もう仕事を辞めよう」と決断することができました。
 

退職して数年たち、今、思うことは、、、、

「辞めてよかった」とはとても思えません。お金のことを考えると将来はとても不安です。でも、「娘に付き添えてよかった」とは思っています。

現在は家で過ごす時間が長くなってきましたし、幼稚園にも通えるようになりました。今でも年に数回は入院していますが1ヶ月以内に帰れるのは本当に幸せです。

娘が大きくなった時、「あなたが病気になったからお母さんは仕事を辞めたのよ(私の人生が狂ったのよ)」と言わなくてもいい、自分も充実した日々をおくっていけるようにしたいものです。

 

 

*もう一つの日記では、なるだけ病気には焦点を絞らず書いていますが、同じ娘の日記です。充実した時間を求めて娘の様子を観察しながらいろんな遊びや工作に挑戦しています。