難病を患う娘(現在幼稚園児)は、しょっちゅう体調を崩します。崩れてしまったら、、、結構大変です。面倒でとても悲しい治療になる可能性もあります。
なので、娘の調子が悪くなると、わたしのテンションも一気に急降下。それじゃいけないと思うのですが、結構辛いものです。そんなとき夫と主治医に言われました。
過ぎたことを振り返らない。今できることをやるしかない。
by 主治医
何かのせいにしない。理由を探さない。
by 夫
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もちろん、入院中説明された治療方法によって何かしら変化が起きたのなら医療行為が原因であるということが分かります。けれど、日常生活を普通に送っていて昨日までとても元気だったのに、突然悪くなってしまうことが多々あります。そんな時、ついついあれが悪かった、これが悪かったと、くよくよ考えてしまいます。自宅で娘をみている私が一番長く娘と接しているので、結局自分を責めてしまいます。
娘の病気の原因がまだ解明できていないので、なぜ突然悪くなるかもよくわかっていません。娘が病気になってから4年が過ぎてだいぶ慣れてきたはずなのに、ある日、突然娘の病気が一気に悪くなった時、精神的にやばくなった時がありました。「娘がこんな病気になったのは、お祈りをささげなかったからよ」「〇〇様にお祈りをささげてお金を払いさえすれば、お子さんの病気もきっとよくなりますよ」なあんていう怪しい誘いが頻繁にかかったら一気にやられそうになりました。
その時、ふっと、夫や主治医が言っていたのはこういうことか!と気づかされました。
娘の病気は、現代の医学ではまだ分からないことが多いのです。そんな大それたものを理解して自分がなんとかしようとすること自体意味のないことなのです。つまり、答えを見つけられないものを見つけようとすることは、不幸になりかねないということを主治医も夫も言っていたんだ思いました。自分の手におえない問題の答えに固執することは幸せを逃していくような気がしました。
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誰かのせいにできたらほんとに気が楽なものですね。今は、いろんなことが明らかになりすぎているから、ついつい、これができないのは〇〇のせいだ、なんて思ってしまいますが。そういう習慣はなるだけやめようと思いました。
自分が誰かに迷惑をかけて責任回避するようなことはしてはいけないと思いますが、自分の生活の中でどうにもならないことに対して答えを見つける習慣は辛くなるだけだと感じるようになりました。もちろん、盲目的に「お祈りさえすれば娘の病気が治る」と信じることができればいいかもしれませんが、私はそんな風に思えないめんどくさい人間です。
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過ぎたことを振り返らない。今できることをやるしかない。
という主治医の言葉はとても重く感じます。
多くの難病患者を診て、命がけの手術に何度も立ち会ってきた先生だからこそ余計重く感じます。
何かのせいにしたくなったら俺のせいにしろ
と言った夫には感謝しかありません。酔っぱらって言ってたから本人は覚えていないかもしれませんが。おかげで正常な精神状態を保てているような気がします。これで、もし、夫に私のあれが悪かったからだこれがだめだったからだって責められたら、やっていけませんでした。