娘は難病を患っています。現在は入院回数も少なくなり、通常学級に通えるほど安定しています。けれど、今から5年前はそんな状況ではありませんでした。
「この病院では、乳幼児が入院する際には24時間の付き添いをお願いしています。」
そう、宣告された当時、我が家は共働き家族。そして娘は難病を発症したばかりで入院期間は常に「未定」。同じ病気のお子さんでは1年間入院されていましたし、娘もひどい時には半年間入院していました。
この記事は私の葛藤そのものです。
なぜ24時間??
大学病院に入院した当初戸惑いました。地元の病院ではそこまで厳しく求められませんでした。ベッドの柵の中に閉じ込めて激しく泣く娘を置いていくことになりますが、夜は、病院の娘と同じ柵付きベッドで寝て、昼は仕事に行くことができました。ところが、いよいよ状況が悪化し大学病院に転院した時、
「乳幼児が入院する際には24時間の付き添いをお願いしています。」
と、宣言されました。
辞職をすぐに考えたのですが、上司が辞めなくてもよいように介護休暇を認めてくださいました。けれど、、介護休暇の期限が過ぎても一向に良くならず、退職することになりました。
地方の病院では、昼間付き添いをしなくてもよかったのに、なぜ大学病院ではダメなのか。苦々しく思いながら過ごしていました。けれど、入退院をくりかえすうちに、今の時代ではどうしようもなかったと思えるようになりました。
なぜ24時間の付き添いが必要なのか
地元の病院と違い、大学病院では症状の重い患者が多いです。ナースコールを押すボタンのスピードが少しでも遅いと大惨事になる場合だってあります。では、そこにたくさんの看護師が配置されているかと言えばそうではありません。大学病院とはいえ予算に限りがあるので、大人の病棟より多く配置されているとはいっても、看護師の人数は十分な数ではありません。そのため、看護師は、多くの患者を診るために分単位で動き回っています。驚いたのは、素人目にこの方はICUにいなくてはいけないんじゃないか?と思うような方でも一般病棟に移ることがあったこと。地元の病院しか知らなかった私には衝撃でした。
そんな状態の中で、オムツがどれだけ変えられるか、泣いている子どもをどれだけあやすことができるか。乳幼児のお世話を全面的に看護師さんに委ねるのは不可能です。では、保育士が常駐しているか?と言えば、しているけれど、圧倒的に足りないのです。
目の前の命を救える高度な医療機器のコストを優先させたと言われれば、納得せざるをえません。事実、娘も最新の治療を施してもらうことで、一命をとりとめました。
病院は、命を救う場所です。予算が潤沢になければ、命を救う方に予算が配分されるのは自然の流れかもしれません。残念ながら保育・教育の場ではないのです。
納得のいかない、「付き添い依頼書」
でも、納得いかないことがあります。付き添いをする際には、患者家族が希望したことにする「付き添いをさせてください」という依頼文書になるのです。病院からの依頼であるはずなのに、どうして、家族側が依頼をしなくてはいけないのか。
「一般病棟の小児の看護体制は大人と変わりありません。医療の世界では子どもを預かるのに託児という概念が全くないのです。夜勤の看護師1人が担当する子どもは10人を超えることもあります。保育園と比べると、その手薄さは明らかです。」青森県立中央病院の総合周産期母子医療センター成育科の網塚貴介部長
「託児という概念がない」なので、本来は立場上「病院側から付き添いを依頼できない」のかもしれません。けれど、乳幼児の場合、家族が付き添いしないとスムースな治療が施せないのが現実なのでしょう。
そんな、建前の依頼書が憎たらしくて仕方がありませんでした、なんども破いてやろうかと思いました。けれど、看護師さんたちの献身的な患者への対応を見ていると、従うしかありませんでした。
付き添うことは仕方がない。でも、「せめて、病院側からの依頼になぜできないんだ!」というモヤモヤは拭い去れません。
仕事を辞める決断
1~3ヶ月程度の入院だったら辞めることはなかったと思います。でも、入院期間未定の入院が頻繁に続く娘の状況では無理でした。
たまたま、主治医が女性で働く私のことを案じ相談にのってくださいました。その時先生の発言が今でも重くのしかかります。
「最後はご家族の覚悟です。」
残念ですが、5年前の状況では何かを諦めなくてはなりませんでした。何を諦め、何を覚悟するのか、いろんな葛藤がありました。
入院したばかりの時は、「どうして、24時間付き添いなんだ」という疑念と不審感がありました。でも、今日か明日か分からない命を支える医療現場を目の前にして、ある日、ふっと、もう仕事をやめて娘のために24時間付き添おうと決めました。
我が家の場合は、娘がたまたま難病を患い終わりのない長期入院を余儀なくされ、一人っ子だったからその決断となりました。辞めて良かったとは到底思えません。将来の家族のことを思うとぞっとします。でも、辛い治療・検査を連日行わなくてはならない娘にとって、母が側にいることは精神を安定させるために重要でした。
けれど、多くの方に同じような苦しみを味わってほしいとは思いません。きっと、いつかこの状況が良い方向い向かうのではないかと信じています。
▼以前仕事を辞めるときの葛藤をだらだら書きました。
おわりに
数えきれない入院生活の中で多くの方に出会いました。みんな、移植などの大手術や化学療法を行っています。
5年前に出会ったお子さんの何人かは元気になり、病院から離れた生活を送ることができるようになっています。難病であることには変わりませんが、病気とうまく付き合いながら社会生活を送れているのです。娘も、5年前、体のある機能が不全になる確率が50%と言われました。入院期間は長く辛いものでしたが、高度な治療を受けることができ、今では見た目には他の子と何も変わらない生活を送れています。このままいけば、社会に恩返しができるような普通の生活ができるかもしれません。子どもの生命力と医療の進歩には驚かされます。
だからこそ、「24時間付き添いができないから」「家が遠いから」などの理由で家族が子どもの治療を諦めなくてもよい社会になってほしいと願わずにいられません。誰かが同じような決断を迫られたとき、私たち家族が経験してきたことが考えるヒントになればと思い記事にしました。
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関連過去記事
この記事を書いている2017年現在、病気の子どもを支える家族への支援はまだ厳しい状況です。
前回も、こんな記事を書きました。
我が家はたまたま病院に通える範囲でしたが、県をまたいで入院するご家族の苦労はさらに深刻です。ファミリーハウスことが多くの方に伝わればと思い記事にしました。
*別のブログでは、娘が楽しく過ごしている様子を記事にしていますが同一人物です。